平成30年4月号(Vol.155)
ウォン・ウティナンさんの経過報告
ようやく春がやってきました。先月はうちの四男(中3)の卒業式に出席しました。式は粛々と進み、卒業生からの歌が披露されました。歌が始まった途中から、女子だけでなく2~3割の男子までもが号泣しながら歌う姿を目にしました。私たち親も感無量の式になりました。本当によい卒業式をしていただき同級生の仲間と学校の先生方には感謝しています。
今月は、3年前にこの誌面で、不法滞在の母親の元に日本で生まれ育ったウォン・ウティナンさんが退去強制処分を受け、処分取り消しを求めて提訴することと、署名とご寄附のお願いをさせていただきました。もうすでに報道もされてご承知の方も大勢いらっしゃるかと思いますが、その後の経過をご報告いたします。
これまでの経過
彼は、2011年山梨県の新しい公共支援事業(外国籍不就学児童調査)で、就学していない子どもであることが判明し、それ以後県の事業とボランティアの学習支援を受けていました。5年前の2014年三男が中2の時に同じ学年の同じクラスに彼が入学してきました。その後、本人から退去強制処分を受けているので、処分取り消しのために力を貸してほしいとの話があり、同級生や私も含めた保護者が中心となって「ウォン・ウティナンさんを支える会」が立ち上がりました。これまではずっと母と一緒に生活をしていましたが、昨夏母はタイに退去させられたため、本人は支援者の元で高校生活を送ることになりました。
私も裁判を傍聴
裁判のために、本人と支援者は6回に渡り東京高等裁判所に足を運びました。毎回20名近く、多い時は50名以上の参加がありました。私も休診日に1度だけでしたが、支援者の方々と一緒に貸切バスで傍聴しに行きました。東京高等裁判所に入ったことがなかったため、傍聴人という立場だけなのにかなり緊張しました。裁判所は入る際に空港の搭乗検査と同じ持ち物検査などがあり、改めて特別な場所だと感じました。裁判は思ったより短時間で淡白な印象でした。次回の日を決めて終了し、彼と世話人と担当の弁護士さんが出席した記者会見も傍聴しました。本人が悪いことをしたわけでもなく、まだ20歳にも満たない彼が裁判を受けなければならないことを考えると、本当に大変なことだと感じました。第4回目の裁判は、同級生が傍聴できるように県民の日に行われ、多くの同級生が裁判所に行きました。午後からの裁判だったため、午前中は裁判所の見学を計画し、当時高校1年生であった三男は貴重な学びを得たようでした。傍聴席は学生で満席となり、他の支援者は傍聴できない程でした。このことは裁判官に、彼が学校や地域の人たちと一緒に仲良く生活しているという印象を強く与えたのではないかと思いました。
しかし、結果は一・二審敗訴。上告を取り下げ、東京入管に再審査を求め、暗い雰囲気が漂っていた最中、昨年12月突然「在留特別許可」が下りました。これは「日本に住み続けることが出来る」を意味することで安堵することができました。
支える会を通じて学んだこと
バザーなどの活動を通じながら、署名1万5,000筆、200万円を超えるカンパを集めることができました。多くのご支援に改めて感謝します。三男の同級生に彼がいたことで、署名・カンパ、裁判などを通じて、地区の方々と力を合わせた4年間、私自身も「子どもの権利条約」や「日本の難民の受け入れについて」などについて考えさせられました。また、核家族化や個人主義が進んでいるように感じていたのですが、心が通じ合う仲間がいること、合わせて1人1人の力は小さくとも皆で力を合わせれば、大きな力になることを学びました。先月23日には、これまで支援してくれていた三枝亭二郎さんの落語会とともに支える会の解散式が行われました。カンパの主な出費は裁判費用として使い、残金は学費、予防接種代、日本語検定の資格試験費用、タイにいる母に報告する旅費、運転免許取得のための教習所代などの補助として使わせていただく予定です。予防接種に関してはこれまで全く接種していないため、今月から10数回にわたる接種を予定しています。また先日住民票のある自治体で母子手帳ももらうことができました。この点については、私は専門としているので彼が日本で生活していく上で不安がないように提案しました。彼はバイトをしながら残り1年の高校生活を送っています。また一人暮らしの準備も始まっています。彼が希望する日本での生活を共に見守っていただけたら幸いです。