げんき夢保育園、げんきキッズクリニックでは被災地へいろいろな物資の支援を行っています。
以下は2012年1月12日現在での経過です。
4月 4日 | 浪江町(福島県)へ…ランドセル201個 |
5月3・4日 | 山田町(岩手県)へ…ボール、折り紙、鯉のぼりなど 相川小(宮城県)へ…児童書100冊、ボール20個 |
5月27日 | 道の駅やまだ(岩手県)へ…横断幕 山田町織笠保育園(岩手県)へ…エプロン、職員の手作りポーチ・袋など |
6月 9日 | 山田町デイサービスセンターへ…炊飯器 |
6月16日 | 山田町観光協会へ…少年野球用練習着、アンダーシャツなど、ラグビー用ジャージ、パンツ、ソックス、スパイクなど |
6月20日 | 遠野町(岩手県)へ…図鑑、絵本など28冊 |
6月20日 | 山田町避難宅へ…ジャージ子ども用上下12着、ティッシュセット、おすなばセット、水筒、うちわ |
6月20日 | 山田町避難宅へ…男性用衣類(Gパン、Tシャツ、ワイシャツ)、靴 |
6月21日 | 山田町避難所へ…はぎれ、生地、毛糸 |
6月27日 | 山田町避難所へ…保冷剤 |
6月27日 | 山田町避難宅へ…女性用衣類上下28着、エプロン、帽子、タオルなど |
6月28日 | 南会津町(福島県)避難宅へ…ジャージ上下6着 |
7月 4日 | 山田町避難宅へ…電動ドライバー2個 |
7月 4日 | 山田町立荒川小学校へ…扇風機5台 |
7月 4日 | チャリティーTシャツ購入(全職員分) |
7月12日 | 東松島市(宮城県)避難宅へ…男児用衣類13枚、女児用衣類9枚 |
7月12日 | 南三陸町(宮城県)避難宅へ…男性用衣類6枚、女性用衣類6枚 |
7月20日 | 南三陸町(宮城県)避難宅へ…男性用衣類16枚、女性用衣類30枚 |
7月20日 | 釜石市(岩手県)避難宅へ…子ども用衣類10枚 |
7月20日 | 山田町(岩手県)避難宅へ…保冷剤 |
7月28日 | 気仙沼市(宮城県)避難宅へ…保冷剤 |
7月28日 | 大船渡市(岩手県)避難宅へ…保冷剤 |
8月 3日 | 気仙沼市避難宅へ…保冷剤 |
8月 3日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤 |
8月 8日 | 山田町避難宅へ…衣類5枚 |
8月 8日 | 山田町避難宅へ…おんぶひも |
8月 8日 | 仙台市避難宅へ…男子用ワイシャツ2枚、女子用Tシャツ2枚 |
8月 9日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤、うちわ |
8月 9日 | 気仙沼市避難宅へ…絵本50冊、粘土、紙粘土、おすなばセット、ティッシュケースなど |
8月23日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤 |
8月31日 | 石巻市避難宅へ…女児用衣類上下10枚、女性用衣類3枚 |
8月31日 | 筑後市(福岡県)避難宅…男児用衣類上下15枚 |
9月 1日 | 気仙沼市避難宅へ…ベビーベッド |
9月23日 | いわき市(福島県)避難宅へ…女性用衣類上下 |
9月23日 | 東松島市避難宅へ…おんぶひも、女児用衣類3枚 |
9月23日 | 亘理町(宮城県)避難宅へ…女性用衣類、男児用衣類上下 |
9月30日 | 山田町避難宅…電気毛布 |
9月30日 | 大槌町(岩手県)避難宅へ…女性用衣類上着5枚、男性用衣類上着3枚、男性用トレーナー上下1組、男性用作業着上下1組 |
9月30日 | いわき市(福島県)避難宅へ…女性用衣類5枚 |
9月30日 | 宮古市(岩手県)避難宅へ…女性用衣類7枚、男性用衣類6枚 |
9月30日 | 石巻市避難宅へ…衣類 |
10月 4日 | 石巻市避難宅へ…男性用衣類5枚 |
10月 4日 | 一関市避難宅へ…女性用衣類4枚 |
10月 4日 | 岩沼市(宮城県)避難宅へ…女性用衣類上下5枚 |
10月 4日 | 気仙沼市避難宅へ…女性用衣類7枚 |
10月 4日 | 石巻市避難宅へ…男性用衣類上下9枚、女性用衣類上下24枚 |
10月 4日 | 石巻市避難宅へ…ベビーベッド |
10月 8日 | 山田町避難宅へ…男児用衣類上下14枚 |
10月 8日 | 釜石市避難宅へ…男児衣類上下10枚 |
10月12日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤 |
10月14日 | 二本松市(福島県)避難宅…女性用衣類上下35枚 |
10月14日 | 東松島市避難宅へ…女性用衣類上着1枚 |
10月15日 | チャリティトレーナー購入 |
10月27日 | 南三陸町避難宅へ…子ども用傘3本 |
11月15日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤 |
11月16日 | 山田町避難宅へ…男性用衣類上下7枚、女性用衣類上下12枚、ニット帽2枚、タオル5枚 |
11月16日 | ふんばろう東日本支援プロジェクト ハンドメイドプロジェクトへ…A職員より布地多数 |
11月23日 | 陸前高田市避難宅へ…男性用靴下12足 |
11月23日 | いわき市避難宅へ…女性用靴下12足 |
12月 1日 | 山田町避難宅へ…女性用衣類上下11枚、女性用下着3枚、女性用靴下3足 |
12月 1日 | 二本松市避難宅へ…女性用衣類上下15枚、女児用衣類上下4枚、男児用衣類上下22枚、帽子、レインブーツ、ビーチサンダルなど |
12月 3日 | 気仙沼市個人病院へ…医師用白衣1枚、看護師用白衣15枚 |
12月12日 | 山田町避難宅へ…女性用衣類上下15枚、下着、靴下、レッグウォーマー、帽子など |
12月12日 | 気仙沼市個人病院へ…プリンタ複合機 |
12月19日 | 大船渡市避難宅へ…保冷剤 |
12月19日 | 釜石市避難宅へ…女性用衣類、靴下、帽子、エプロン、タオル |
12月19日 | 山田町避難宅へ…男性用衣類9枚、女性用衣類1枚、帽子、保冷剤 |
12月30日 | 山田町織笠保育園へ…マフラー18枚、お米券80枚、そば15人分 |
12月31日 | 気仙沼個人病院へ…白衣、輸液ポンプ、レントゲン防護服、ピークフロー、点滴棒2台、そば15人分 |
1月12日 | 石巻市避難宅へ…絵本、カレンダー、タオル |
また、支援先からご丁寧なお礼の電話や手紙をたくさんいただいておりますので、手紙の一部をご紹介します。
大変なときにもかかわらずありがとうございました。
G.Wを利用して、当げんき夢保育園の保育士ら7名で被災地に行き、
保育ボランティアとして活動をしてきました。
そのときのことが2011年6月6日の山梨日日新聞に掲載されました。
げんき夢保育園ではこれからも継続的に協力をしていきたいと思います。
3月11日に起きた東日本大震災。
現地では多くの方々や子ども達が辛い経験をしているだろうと思うと、とても胸が痛くなりました。
保育士という立場で私たちに何かできることはないかという思いから、宮本園長先生をはじめ、保育士4名・栄養士1名・保育士の家族(中学生1名・大学生1名)で岩手県下閉伊郡山田町に保育ボランティアに行かせていただきました。
自然豊かな山田町は、山田湾、船越湾などの天然の良港に恵まれた漁業の町です。
サケ・カキ・ホタテの漁業が盛んに行われているところです。
震災後、小中学校のグラウンドは自衛隊の基地になっていました。
震災後の町の景色は、日常が流された跡がはっきりと残されたままでした。
それぞれの生活、家族、海のもの、山のものも流した津波の勢いがどれほどのものだったのか、想像以上でした。
山梨県から、サッカーボール、絵本、折り紙などを持参し、子ども達と一緒に遊びました。
笑顔で遊びながらも、私達に体をくっつけておんぶや抱っこをして欲しいと言ったり、甘える姿も見られました。
時々、地震や津波の出来事を話す子どももいました。
「地震以来久しぶりに体を動かしたよ!!」と言った子どもの一言がとても印象的でした。
※げんき夢保育園の子どもと職員で“こいのぼり”を作って贈りました。
山田高校の避難所の入口に飾らせていただきました。
1日目の午後からは避難所となっている織笠保育園で、こいのぼり制作や外遊び、絵本の読み聞かせをしました。
子ども達は目を輝かせて活動し、その姿を見守る大人も皆穏やかに笑っていました。
保育室の出席簿は3月11日の日付のまま止まっていました。
私達、ボランティアはこの織笠保育園で寝泊まりさせていただきました。
避難所のリーダー役はこの保育園の園長先生(川端京子先生)。
保育園は高台にあり、園庭から下を見下ろすと津波で流された街の景色が一面に広がり、被害の大きさが一目瞭然でした。
避難所に暮らしている地元の漁師さんが、津波の時の話を私たちに教えて下さいました。
『津波の避難警告が鳴り、外へ出ると遠くで海が一度引けるのを確認した。
その後、住宅に向かって水柱が立った。
山より高い水柱がどーんと立って、同じような大きな波が30分ごとに住宅地へ押し寄せた。
水といっても透明ではなく、大きな黒いかたまりだった。』
『津波で家や家族や大切なものをたくさん失ったけれど、得たものもある。
それは人々の優しさとあたたかさ。
色々な地域の方がこの町のことを心配してくれている。
人間の優しさを感じているところです。
地震がこなければ気が付かなかった。』
そうお話をして下さった男性は真剣な表情の中にも優しい笑顔を見せてくれました。
♪気付かないうちに助けられてきた 何度も何度も
そしてこれからも 数えきれないやさしさに出会ってきた
懐かしい笑顔が浮かんでは消えていく
誰もがいつも君をみている
今日もどこかで 君のことを思っている
めぐり合って そして愛し合って 許しあって
ぼくらはつながっていくんだ♪
川端先生は「この高台から音楽をかければきっと街中に聞こえると思うから」とおっしゃっていました。
数日間の保育ボランティアを経験し、まず感じたことは現地の方々はとても大変な思いをされている中でも、明るさと笑顔と前向きな気持ちを忘れていいないということ。
そしてボランティアの私たちにもとても親切にして下さったように、いつでも自分以外の誰かの気持ちを思いやる、強くて優しい心を持っているということです。
私達も保育士としてより一層子どもの心に寄り添う保育を心がけようと思います。
山梨に帰ってからも、心の中には山田町の皆さんが共にいます。
日本中の子ども達が笑顔で過ごせるようになるまで3月11日の大震災のことを忘れずに自分達に出来る支援を続けていくことが大切だと思いました。
『ふんばろう東日本』という支援プロジェクトを通して山田町にある道の駅やまだに心を込めて応援幕を送りました。
また、ボランティアでお世話になった織笠保育園では今年の7月9日に行われる夏まつり名を“おりかさ げんき 夏祭り”にして下さるそうです。
ボランティアをきっかけで交流ができ、嬉しいです。
この絆を大切にしたいと思います。
被災地へ贈るランドセルを集めました。
当初はランドセル会社に送られたランドセルを修繕して東北に贈るという運動に賛同して保育園保護者・職員で取り組みました。しかし、3月27日(金)にランドセル会社に問い合わせをしたところ、既に1万個以上のランドセルが送られてきて、これ以上受け付けられないと言われてしまいました。その時点で園には100個近いランドセルが届いていたため、知り合いの山梨日日新聞の記者さんに連絡を取り、被災地へ支援物資を届けている団体を調べていただけるようにお願いをしました。
結果4月4日(月)に、山日の記者さんから、中央市役所の総務課秘書政策課にて「まごころプロジェクト」という東北の子ども達へ学用品を贈る運動をしていて、集まったランドセルを活用していただける地域があるかについて問い合わせてくださるという連絡をいただきました。その後、福島県双葉郡浪江町の住民が隣接する二本松市に避難しており、そこの子ども達がランドセルを必要としているということがわかりました。
この時点で、既に201個のランドセルが園に届き、これを目にした中央市役所担当課職員の皆さんが「6日には始業式が始まるので、このランドセルを今日中に二本松市に届けます」と確約してくださり、夕方山梨を発ってくださいました。ランドセルと共に、浪江町の町章、げんきキッズクリニック・げんき夢保育園のロゴマークが入った模造紙に、医院・園の職員皆で励ましのメッセージを書かせていただき、一緒に二本松市に持っていってもらいました。
4月5日朝10:00過ぎに、なんと二本松市長様から保育園宛に電話でのお礼がありました。災害時のお忙しい中にも関わらず、お礼の言葉を伝えてくださる姿勢に胸がいっぱいになりました。
結果、4月6日の締切日までに、245個にわたるランドセルが届きました。残りの分も中央市を通じて近日中に被災地へ届けていただけることになっております。ご協力いただきました皆様本当にありがとうございました。このランドセルを背負う子どもたちは、ランドセルだけでなく皆さんの思いも一緒に受け取ることができたと思います。このような温かい繋がりに出会うことができたことに感謝しております。今後も被災地の子ども達のためにできることを少しずつ取り組んでいきたいと思っております。ご支援・ご協力の程よろしくお願い致します。
4月5日、午後、園の文具を調達していただいている某会社より、新品の文具を提供していただきました。
4月6日午後5:50、浪江町町長 馬場保氏よりお礼の電話をいただきました。子どもたちが大変喜んでいるとの話を聞き、大変嬉しく思いました。 4月7日、朝、浪江町に送ったあとに集まったランドセル44個は、中央市を通じて、NGO時遊人に送りました。そちらから他の文具といっしょに東北の被災地へ送られることになりました。
平成23年4月19日、山梨日日新聞に当保育園保育士の応援メッセージが掲載されました。
被災地にランドセルを贈る取り組みに対しては、このような温かいお手紙をいただきました。ありがとうございました。