令和元年9月号(Vol.172)
学校とは?
まだまだ暑い日が続きますね。子どもたちは夏休みが終わり、園や学校に行き始め、やっと通常通りの生活がやってきたとホットしている親御さんは多いと思います。我が家の夏休みは県外にいた大学生3人がバラバラと帰省し、子どもたちの学校や友達の話を聞き、各々の成長を親として感じることができました。日頃あまり遊ぶことのない年の差の娘はプールや科学館へ兄に連れて行ってもらい、楽しい時間を過ごすことができました。
今回、千代田区立麹町中学校長工藤雄一先生の著書「学校の当たり前をやめた」という本をもとに、みなさんの子どもが通う「学校」について考えたいと思います。教育に関しては専門家ではない私ですが、かかりつけ医として「不登校」等のお子さんと接することがあるので、教育と医療の連携を痛感させられることが多々あります。著者の工藤先生は「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、数々の大胆な改革を行い、生徒・教員・保護者までもが主体性を発揮し、生き生きとした教育活動を展開しています。
宿題廃止!
全国ほとんどの学校で宿題を出すのが当たり前だと思っています。一般的に宿題の意義は「子どもの学力を高めること」「学習習慣をつけること」であると言われています。工藤先生は学力を高めていくには、自分が「分からない」問題を「分かる」ようにするプロセスが大切で、宿題を出すのであれば「分からないところをやっておいで」が大切であると言っています。
漢字の書き取りテストで間違えたところを1文字につき20回書くことが宿題となれば、「へん」だけを先に20回、その後に「つくり」を20回埋めていく「作業」をする人もいて、その時に「作業」を淡々とこなす際の脳はほぼ思考停止状態になっているそうです。この時「やらされている」気持ちだけになり、早く終わればいいとしか思っていないようです。これで学力を高めることができているかは疑問です。学習は「できない」問題を「できる」ようにするプロセスでないと意味がないようです。こういった考え方から日頃の宿題も夏休みの宿題も廃止したそうです。宿題を全廃したことで最も喜んだのは受験を控えた中3の生徒たちで、自分にとって重要ではない非効率な作業から解放されたからだそうです。
子どもの中には朝から夕方まで学校で活動し、帰宅後宿題に追われてしまい、疲れ果てている子も少なからず見受けられます。宿題に時間がかかる場合は担任の先生と相談し少なくしてもらう工夫も大切ではないかと思います。
学校は何のためにあるのか
工藤先生は「学校は子どもたちが社会の中でよりよく生きていけるようになるために学ぶ場所である」と本の中で何度も書いてありました。「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する」つまり「自律」する力を身に付けさせていくことだと言っています。大人が先回りをして、手を掛けすぎて育てられた子どもの多くは自律できず、自分で解決できない場合は他人のせいにしがちになるそうです。本来の学びとは、自分で分からなければ調べたり考えたり、それでも分からなければ聞くことが大切です。社会に出れば、物事を解決するときには対話→発信→受け取る→合意形成を行うことと同じだと述べています。
日々の子育てではなるべく失敗しないようにと親は手を出しがちで、学校ではお子さんのテストの点数がよければいいと思いがちですが、「自律する」ということにもっと目を向けないといけないことに私自身も気づかされました。
現場で働く教師の方々もこれらのことを理解しているものの、前例主義の前ではやれることも限られているのかもしれません。工藤先生は学校を良くするには校長や教員だけでなく、保護者も地域住民も「学校を良くするために、自分たちは何ができるか」という視点を持つ必要があると述べています。つまり、私たち保護者もお願いするだけではなく、共に連携することが大切であることを気づかされました。
2学期を前に
楽しかった夏休み明けは特に園や学校へ行くことにすぐに慣れずに、頭痛や腹痛を訴えるお子さんがいます。私のクリニックにも相談に来ます。「なまけ癖がつくと困る」等と言ってお子さんを無理やり学校に行かせないでください。子どもは学校に行きたいという気持ちはあるものの、行けない状況になっているのだと理解して下さい。子どもの話をしっかりと聞き、遠慮せずに担任の先生や校長先生に相談をしてみて下さい。それでも難しければ、医療機関に相談をしてください。決して親子だけで悩まないでください。サポートしてくれる人は必ずいます。
参考文献
学校の「当たり前」をやめた。時事通信社 工藤勇一